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日記、雑記
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 前回、事代主神について触れたので今回はその関連で書こうと思う。
 一言主神という神をご存知だろうか。どちらかといえばマイナーな神であるが、興味深いところがある神である。初見は『古事記雄略天皇の四年。雄略天皇が葛城山へ狩りに出かけると、そこへ天皇と全く同じ格好をし、同じ一行を引き連れた者と出くわした。天皇は不審に思い誰何すると、「吾は悪事(まがこと)も一言、善事(よごと)も一言で言う。葛城の一言主の大神なり」と答えた。それを聞いた天皇は畏れ入って一行の弓矢や衣服をその神に差し出した。まずこの神が述べた言葉から分かるように、この一言主神は託宣神である。そして天皇が畏れ入ったことから、かなり有力な神であることがうかがえる。ところが時代が下るに従って、この神の地位も揺らいでくる。
 『日本書紀』の雄略天皇紀では、ほぼ同様の記述ながらも、天皇と共に狩りを楽しんだとされ、ここにはすでに畏れるという姿はない。さらに『続日本紀』においては天皇と狩りの獲物を争ったために、土佐へ流されたとされている(実際に土佐にはこの神を祀る土佐神社があり、同国の一宮となっている)。
 その後、仏教説話集『日本霊異記』においては、賀茂氏の一族とされる役小角によって使役される神として登場している。その中では自らの醜い姿をさらすことを嫌がり、夜しか働こうとしなかった一言主神を呪法によって縛り上げてしまったという。もはやそこには神としての姿はない。
 ところでこの神と事代主神が何の関係があるのかであるが、それは一目瞭然、名前が酷似している。それだけかと笑うなかれ、言葉や形の相似はすなわち性質の相似に通じる。しかも両者は託宣神としての神格まで一致しているのである。すなわち事代主神=一言代主神ということだ。
 その一方で阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネノカミ)を一言主神と同一視する説もある。この神は賀茂氏が祀っていた神である。この神も神話内での地味な活動にもかかわらず、迦毛大御神(カモノオオミカミ)というように尊称で呼ばれている。神格としては農業神、あるいは雷の神とされる。ところが系譜を見るとこの神もまた大国主神の子なのである。母神は別々であるから事代主神とは異母兄弟ということになる。ところがややこしいことにこの両者の母神が同一なのではないか、と思われるような記述が『先代旧事本紀』にみられる。このように大国主神周辺の系図はかなり混乱しており、ここに記紀編纂者の作為があるように思えるのだが、穿ちすぎだろうか・・・・・・・・・。

 

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 久々に洋書を買ってみた。タイトルは『Spoon River Anthology』、『スプーン・リヴァー詞華集』などと訳されている詩集だ。著者はエドガー・リー・マスターズ。なんでわざわざ洋書を買ったかというと、これの翻訳本は3999円もする上に、書店で見かけたことがないので、はたして原文が載っているのかどうかも分からなかったからだ。やはり詩の場合は原文があった方が良い(自由詩なので韻がどうこうというのはないけれど・・・)。ということで洋書を探してみたら2種類みつかった。定番のPenguin Classics版とSignet Classics版。どちらもペーパーバックなのでそんなに変わらないだろうとは思ったのだが、前者が1495円するのに後者は612円だったので、安いほうにした(笑)。 だって原文である以上訳に違いがあるとかいうわけもなく、またペーパーバックなので品質も大差ないだろうからだ。しかもページ数は後者の方が少々多い。というわけでSignet Classics版を購入した。
 それが今日届いた。ヤワな紙だったらどうしよう、と思いつつ開けてみると特に問題はないようだ。Penguinはきなり色っぽい色(たしか・・・)だったが、こちらは薄いグレーの紙色、読みにくいこともなさそうだ。Penguinはけっこう文字が擦れていたりするのだが(笑)、ざっと見た限りではそれもなさそうだ。
 ジョン・ホランダーとかいう人(誰?)の序文が17ページもついているが、面倒なのでパス(後で気が向いたら読みましょうね)。次に索引がついていて、人名がアルファベット順に並んでいる。というのもこの詩集、スプーン・リヴァーという架空の町に生前住んでいた住民たちが、それぞれ自らの生涯を振り返ったり思いを語るという、いわば死者による自らの墓碑銘ともいうべき趣向なのである。244人いるから詩もそれだけあるはず。概ね一人1ページ程度、長くても2ページくらいなので、ちょっとずつ気長に読むとしましょうか。

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 さてだいぶ滞ったけど久々更新。まぁ、期待しないで気長にお付き合いくだされ。
 しばらく前になるが大黒様のことを書いた記憶が薄っすらとあるので、今回は恵比寿について書いてみたいと思う。
 恵比寿は商売繁盛という現世利益バリバリの福徳神。庶民にも親しまれており、関西ではえべっさんと呼ばれ、同名のレスラーも出てくるほど。とはいえこの恵比寿が何者なのか知っていると断言できる人はあまりいないようだ。
 まずは一般的な知識から。と思ったのだが、実は恵比寿の正体には一般的にも意見が分かれているからややこしい。それが何かというと、一人は事代主神、もう一人は蛭子である。前者は言うまでもなく大国主神の子である。後者は伊邪那岐と伊邪那美の最初の子で、不具であったために海に流されたという哀れな神だ。こうして見ると事代主神の方が納まりがよいように見える。大国主(=大黒)との関係もあるし、神としても有名だ。しかし現実に、エビスの看板を出している神社で、一方は事代主神、一方では蛭子神という風にバラバラな祭神を祀っているのは確かである。
 そこでまずはそれぞれの本来の神格を考えてみようと思う。事代主神の主となる神格は何か。それは託宣の神である。それは記紀にもはっきりと表れている。高天原の使者が大国主の下を訪れた際に、彼は息子に聞くように言ったという。これは息子に決定を投げ出したわけではなく、託宣を求めたものと考えられる。そう、事代主とは言代主の意なのである。また使者が事代主の下を訪れた時、彼は舟の上で「鳥の遊び」をしていたという。これは一種の呪い(まじない)である。吉凶などを占っていたものと考えられる。この託宣神の性質が転じて商売繁盛に繋がったとしても、さして違和感はない。
 一方、あっさり流され以後登場しなかった蛭子の方はどうだろうか。どうやら彼はそのまま流されとあるところに流れ着いたようだ。そこが現在恵比寿信仰の中心となっている西宮神社(兵庫県西宮市)である。そこで蛭子は夷三郎と名付けられ、祀られたされている。当初は航海の安全や豊漁の神であったようだ。それが市場経済の発達と共に次第に商売の神へと変貌していったらしい。こちらも頷けなくはない。なおエビスには異邦人の意味もあり、海から流れ着いた神故にエビスと呼ばれたのだろう。
 どうにもややこしいが、結局のところ二つのエビス信仰が時と共に複雑に絡み合い混同されていったとみるのが無難なようだ。

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 また間が空いてしまった・・・。
 前回は両面宿儺について書いたので、今回は同様に異形の方を紹介しよう。よくよく考えると仏や天部にも手がたくさんあったり、顔が複数あったりとかなり不気味・・・失礼・・・独特なお姿をされた方々がたくさんいらっしゃる。で、今回は三面大黒天を取り上げようと思う。
 名前で分かるようにこの大黒天は三つの顔を持っており、さらに腕も6本ある。つまり三面六臂ということだ。しかも向って右は毘沙門天、左は弁財天の顔になっており、それぞれ武器を携えている。
 日本で最初に祀られたのは比叡山らしい。何故にこんな姿になったのか知らないが、ヒントは大黒天の本来の性格にあるのかもしれない。
 ご存知のように大黒天は本来はヒンズー教の神で、本来の名はマハーカーラ、シヴァ神の化身である(漢字では摩訶迦羅などと書いたりする)。マハーカーラとは“大いなる暗黒”を意味し、それ故に大黒天となったわけだが、これとは別に“大いなる時”をも意味する。日本ではずいぶんと縁起の良いものになっているが、本来は強力な武神としての性格を持ち、また死も司るかなりコワモテの神で、破壊神である。つまり大黒天の神格は財、武、死の三つということになるから、この三面大黒天はそれぞれの性格を3者に分担した上で(毘沙門=武、弁財天=財)、合体させたようにも思える。ところが話はそう単純ではないらしい。
 再び大黒天の源流を探っていくと、密教の本家とも言うべきインドでは三面六臂のマハーカーラが存在していることがわかった。日本のものと同じ様にそれぞれ別の顔がついているのだが、インドではそれがシヴァ、ブラフマー、ヴィシュヌの三神になっている。ヒンズーにおける最高神3柱で、生まれた順番にいくとヴィシュヌ(維持)、ブラフマー(創造)、シヴァ(破壊)である。なんだそれならば、単にそれを輸入しただけなのか、と思いきやどうも日本のものとは微妙に違っている。問題は3面のメンバーである。シヴァ神はマハーカーラがその化身ということで大黒天に対応するとしても、残りの2神が違うのだ。毘沙門天の本名はヴァイシュラヴァナであり、弁財天の本名はサラスヴァティーであるからだ。何で違ったのか素人にわかるはずもない。がサラスヴァティーはブラフマーの妻であるから、多少の繋がりはある(ちなみにブラフマーは梵天。)。問題はヴィシュヌ神だがこれは毘紐天や那羅延天として仏教にも導入されているが、あまり知られていない。もしかしたらそれ故に2神は日本に馴染みのある七福神の神々に置き換えられたのかもしれない。ヴィシュヌとヴァイシュラヴァナ、ほら何となく名前も似ているし・・・、あ、石を投げないで・・・。
 お後がよろしいようで、今回はこの辺で。

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 久方ぶりの更新。
 前回は目一つの鬼について書いた(と思う)。鬼とされるモノたちには、一つ目のように非常に容姿に特徴があるものが多い。今回はその中でも極めつけの、インパクトのある姿をした鬼について書こうと思う。
 その名も「両面宿儺(リョウメンスクナ)」である。
 名前から分かるように二つの顔を持っているわけだが、その二つの顔は後頭部を合わせるようにして前後についている(キン肉マンに出てきたジャンクマンのように・・・といっても通じないだろうけど)。これだけならまだ驚くには当たらないが、この両面宿儺には手足二対ずつあった(つまり四本足、四本腕)という。要するに二人の人間が背中合わせにくっついているような姿だったらしい。ちなみに足には関節とかかとがなかったという。どうみても歩きにくそうなのだが、その動きは非常に敏捷でしかも怪力で、四本の腕にそれぞれ武器を持って戦ったという(鉾、錫杖、斧、八角の檜杖を持った姿が伝わっている)。
 さてこんな奇妙な姿をした両面宿儺であるが、実はその逸話は我が国の正史である『日本書紀』に記されている。それによれば仁徳天皇の時代に飛騨の山中に住んでいたまつろわぬものらしい。飛騨国で暴れまわっていた両面宿儺が派遣された武振熊命に征伐されたというだけの、かなり素っ気無い記述である。
 その一方で地元では神として信仰されていたらしく、文化英雄的な人物とされている。飛騨のいくつかの寺には両面宿儺によって開かれたという伝承が残り、またかつてこの地で暴れまわっていた悪龍を退治したという話も伝わっている。
 両面宿儺もまた朝廷によって鬼の烙印を押された地方神なのだろう。

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