日記、雑記
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なんとなく楽天のくじの成績表を作ってみた。以前に比べて当選確率が減る一方で、新しいくじが続々と登場し、会員が騙されている(おひ)気がしたからである。結果は次の通り。
(今回は、ブロードバンドと加盟店(1回当選)は除外。また終了した銀行くじも除外。)
う~ん、前までは記録してなかったけれど、実感として確実に当たりにくくなってきているのは間違いない。その中では、けずろっとがもっとも成績が良い。今回はこれでも悪かった方だが、たいていは5割近く当たる(1pだけど)。来月もできれば記録してみたいと思う。
| くじ名 | 当選数 | ポイント | 確率(%) |
| 楽天 | 3 | 3 | 9.7 |
| infoseek | 1 | 1 | 3.2 |
| infoスロット | 0 | 0 | 0 |
| オークション | 0 | 0 | 0 |
| ブログ | 1 | 1 | 3.2 |
| トラベル1 | 3 | 3 | 9.7 |
| トラベル2 | 0 | 0 | 0 |
| 証券 | 0 | 0 | 0 |
| 保険 | 0 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 | 0 |
| ウーマン | 0 | 0 | 0 |
| レンタル | 0 | 0 | 0 |
| VIDEO | 0 | 0 | 0 |
| Yahoo! | 1 | 1 | 3.2 |
| けずろっと | 16 | 16 | 45.7 |
(今回は、ブロードバンドと加盟店(1回当選)は除外。また終了した銀行くじも除外。)
う~ん、前までは記録してなかったけれど、実感として確実に当たりにくくなってきているのは間違いない。その中では、けずろっとがもっとも成績が良い。今回はこれでも悪かった方だが、たいていは5割近く当たる(1pだけど)。来月もできれば記録してみたいと思う。
先日、内田百閒の『サラサーテの盤』を課題に読書会を行ったのだが、後日私が読んだのとは別の出版社から出ている本に付いていた解説を読ませていただいた。それは松浦寿輝氏と三島由紀夫氏の解説で、後者は作家百閒の解説、前者はサラサーテの盤に関するものが主となっていた。
さてその松浦寿輝氏の「仮りに揺揺の方を・・・・・・」と題された解説を読んで、ふと思いついたことがあるので書いてみたいと思う。(しょせん素人が考えることなのであてにしないように、流し読みでどうぞ)
この松浦寿輝氏の解説ではタイトルになっているように、「ヨーヨー(変換が面倒なので)を揺らした時、もしもヨーヨーの方が固定されていると考えれば、揺れているのは人間の方ではないか」と書かれている(かなり乱暴な省略だがご容赦を)。主体と客体が入れ替わってしまうのである。これは『サラサーテの盤』を大変上手く表現していると思う。主人公である私が、狂気に捕らわれた(かに見える)友人の妻の行動を冷静に観察していたはずが、次第次第に(それこそヨーヨーの揺れが糸を伝わってくるように)自らも狂気に引き込まれていく。いや、それどころか初めから揺れていたのは私の方だったのではないか、という疑念すら浮かんでくる。このような曖昧な、狭間に揺れ動くような不思議な世界が見事に表現されている。
ところでこの「仮にヨーヨーの方が固定されているとしたら・・・」というところに、妙に見覚えがあって、いろいろ考えていた。そのものではないが、何か似たようなものを見た気がする。そして思い出した。これはヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』に通じるのではないか、と。ジェイムズの『ねじの回転』は奇しくもサラサーテ~同様怪談のような物語なのであるが、このタイトルに関して昔から様々な説が出されているものの、未だに決定打を得ていない。原題では「Turn of the Screw」であり、意味は邦題よりもむしろ「ねじのひねり」あるいは「ねじのひとひねり」という感じでひねりに重点があるらしい。諸説を紹介するのは面倒なのでやめておくとして、これがどうもさっきのヨーヨーの例えに通じる気がしてならない。言うなれば「果たして回されている(ひねられている)のはねじなのか、それとも・・・」という風に。作品の内容としても、『ねじの回転』の語り手である女性は果たして本当に幽霊を見たのか、それとも彼女自身が狂気(あるいはなんらかの精神状態)に陥っていたのか、非常に曖昧な描かれ方をされており、そこもまた今日まで論争が絶えない。
もちろん、ヨーヨーとねじとではだいぶ表現が違う、ヨーヨーが行ったり来たりと揺れ動くのに対し、ねじは限定された動きしかしないという違いがあるので、かなりこじつけに近い気もするが、「Turn of the Screw」の重点がTurnにあるとすれば、必ずしもねじという物体に拘泥する必要はないのかもしれない。また主点を「主体と客体の交換」に置けば、両者に多少は通じるところもあるのではないか、と思った。
以上、長々と駄文を失礼しました(笑)
さてその松浦寿輝氏の「仮りに揺揺の方を・・・・・・」と題された解説を読んで、ふと思いついたことがあるので書いてみたいと思う。(しょせん素人が考えることなのであてにしないように、流し読みでどうぞ)
この松浦寿輝氏の解説ではタイトルになっているように、「ヨーヨー(変換が面倒なので)を揺らした時、もしもヨーヨーの方が固定されていると考えれば、揺れているのは人間の方ではないか」と書かれている(かなり乱暴な省略だがご容赦を)。主体と客体が入れ替わってしまうのである。これは『サラサーテの盤』を大変上手く表現していると思う。主人公である私が、狂気に捕らわれた(かに見える)友人の妻の行動を冷静に観察していたはずが、次第次第に(それこそヨーヨーの揺れが糸を伝わってくるように)自らも狂気に引き込まれていく。いや、それどころか初めから揺れていたのは私の方だったのではないか、という疑念すら浮かんでくる。このような曖昧な、狭間に揺れ動くような不思議な世界が見事に表現されている。
ところでこの「仮にヨーヨーの方が固定されているとしたら・・・」というところに、妙に見覚えがあって、いろいろ考えていた。そのものではないが、何か似たようなものを見た気がする。そして思い出した。これはヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』に通じるのではないか、と。ジェイムズの『ねじの回転』は奇しくもサラサーテ~同様怪談のような物語なのであるが、このタイトルに関して昔から様々な説が出されているものの、未だに決定打を得ていない。原題では「Turn of the Screw」であり、意味は邦題よりもむしろ「ねじのひねり」あるいは「ねじのひとひねり」という感じでひねりに重点があるらしい。諸説を紹介するのは面倒なのでやめておくとして、これがどうもさっきのヨーヨーの例えに通じる気がしてならない。言うなれば「果たして回されている(ひねられている)のはねじなのか、それとも・・・」という風に。作品の内容としても、『ねじの回転』の語り手である女性は果たして本当に幽霊を見たのか、それとも彼女自身が狂気(あるいはなんらかの精神状態)に陥っていたのか、非常に曖昧な描かれ方をされており、そこもまた今日まで論争が絶えない。
もちろん、ヨーヨーとねじとではだいぶ表現が違う、ヨーヨーが行ったり来たりと揺れ動くのに対し、ねじは限定された動きしかしないという違いがあるので、かなりこじつけに近い気もするが、「Turn of the Screw」の重点がTurnにあるとすれば、必ずしもねじという物体に拘泥する必要はないのかもしれない。また主点を「主体と客体の交換」に置けば、両者に多少は通じるところもあるのではないか、と思った。
以上、長々と駄文を失礼しました(笑)
